星野源が大好きっていう皆さ〜ん!!
今日も星野源風の男を探しては、大してイケメンでもなく才能ナシ金ナシ人望ナシのただの塩顔男だと気づいてガッカリしてますか〜〜?
星野 源 - SUN【MUSIC VIDEO & 特典DVD予告編】 - YouTube
皆さん、なにか誤解してると思うんですけども、たしかに皆さん星野源が好き過ぎるあまり、星野源の顔も好きなんでしょう。
でも、やっぱりそれって星野源の圧倒的な多才あっての話なわけですよね。
星野源の才能にまずバチッと惹きつけられたわけですよね。そして輝かしい才能の前に、よく見れば普通の星野源の顔もどこか神々しい顔面に見えてくる。
ちょっと余談ですが、星野源風の男を見つけては落胆する皆さんに明日から活用して欲しいライフハックをお伝えしますね。
「おれ、よく星野源に似てるって言われるんだよね〜」
とかいうただの普通の顔のやついるじゃないですか。
こんなこと自ら言うやつは、その時点で
「あなたの顔には特色もないし、特に話していて膨らむ話題もなく、星野源に似てるとかそういう話題でお茶を濁しとこうかな」
という、似てると言ってくれた方の言葉の真意にまるで気づけていない、言うなればまあ、バカなんですよ。
なんせ、星野源に本当に似ているようなスーパースペックの男は自分なりの得意分野を持っていたり、星野源に似ているなんていうしょうもないスペックを誇るようなことはしないわけですね。
すなわち、
「おれ、星野源に似てるってよく言われるんだよね〜」
って言うような男は、自ら「僕は星野源風の特色のない普通の顔で、特に頭も良いわけではなく、取り立てて得意分野もない無能です〜」と自ら吐露しているわけですね。
これで並居る星野源気取りの92%をスルーできるので覚えておいてください。
まあそもそも星野源的な人間と付き合えるのはガッキー的な人間じゃないと無理なので皆さんには関係のない話ではありました。すみません、はは。
なんの話だ?
いくぜ本題。
星野源、何がすごいの?
星野源、たしかに近年の活躍は目を見張る凄まじさだけれど、一体なにがすごいかよくわからない人も多いとおもいます。
何度も言いますが、普通の身なり、普通の顔、朴訥な歌唱力。
想像力豊かな小学校2年生ぐらいの女の子に「普通」という概念を写生させたら10人中6人ぐらいが思わず星野源の肖像画を書いてしまうぐらい「普通」を極めつけた男なんですよね。
今日はこんな「普通」な、だけど日本中の自称新垣結衣に似てるとか言われがちな女性の心を鷲掴みにした、星野源のすごさを考えてみたいなと。
「普通」を武器に頂点をとった星野源
普通の身なり、普通の顔、普通の歌唱力。
しかし滅茶苦茶刺さる歌詞、アホほど前衛的なのにめちゃくちゃ大衆ポップに何故かなってる音楽、かっこいいギターさばき。
ご存知の通り、星野源は多才すぎるほど多才です。
ギターもうまい、めちゃくちゃキャッチーなメロディも作れる、アレンジもできる、ライブでのエンターテイナーっぷりもそこらのバンドマンにはとても真似できるものでもない。しかし、最大の武器は、その「普通さ」の表現にあると思うんですよ。
ファンの中でも人気の高い、ソロデビュー初期の曲「くだらないの中に」を聴いてみてほしいんです。
星野 源 - くだらないの中に 【Live from “YELLOW VOYAGE”】
この曲を聴いてどう思いますか。僕はめちゃくちゃ震えたんですよ。最初たしかラジオかなんかで流れてきたんですけど。
「うわああ、俺もこんなことあった〜〜〜〜」ってなる。ないのに。
それが星野源の究極のすごさだと思うんです。
普通の身なり、普通の顔、普通ぐらいの歌声。「普通」日本代表の星野源は、世の殆どの人達、つまり「普通」の人たちに真っ直ぐ言葉を届けることができるんだと思うんですよ。
星野源の歌詞を見ると、少し飾り気の多くて難しい歌詞が多く、歌詞カードを一見しただけでは分かりづらいんですよね。
一人で文字を見ながら考え事をしても、なんだかうまく歌を掴みきれない。ただ、よく読めばすごく多くの人に当てはまりそうな普遍的な言葉ではあるんですよ。
わざわざこの普通のことを難しい言葉で歌わなくても、と思うこともあります。散文詩として、もっと分かりやすくて伝わる歌詞を書くなあって人はほかにたくさんいます。
しかし、星野源が歌うと、なんか難しい言葉たちが途端に腑に落ちるんですよね。
普通の顔、普通の背丈、普通の身なりをした「まるで知り合いにいそうな普通のお兄さん」が歌うことで、なんだか伝わってしまう。
しかも、少し難解で咀嚼しないといけないはずの言葉だからか、ほかのどんなアーティストが歌うよりも、心の深いところに届いてしまう。
「普通」代表の星野源は、自分の歌に仕掛けたちょっとだけ難解な、だけど普遍的な言葉をまっすぐ普通の人達の心の奥深くに届けることができる。
芸術活動には一般的に、「比喩表現」がありますよね。「くじらのように大きい」とか「猫のようにうるさい」みたいな、ある表現を例えることでより鑑賞者に届けやすくする手法。
星野源は、少し飾り気の多くて難しい歌詞(だけど普遍的な)を、まさに比喩表現のように「普通」のアイコンと化した自分を目一杯使って人に分かりやすく伝えられていると思うんです。
ちょっと分かりにくい経験や情景も、星野源が「普通」に歌うから、皆にビシっと伝わってしまう。
元来、難しい概念や理想をわかりやすい言葉で噛み砕いて伝えるのは文学家、小説家の仕事。だけど、星野源は一歩進んで、自分が語り部となって初めて完成する経験を世の中に届けていると思うんですね。
途方もないテクニック
一般的に歌というのは、簡単過ぎると過小評価されるし、難し過ぎると多くの人に届かないというものだと思います。
だから、多くのアーティスト達は自分のブランディングが重要で、シンプルで分かりやすい歌を自分のパフォーマンスで過小評価されないようにするか、難しい歌をより多くの人に聴いてもらう広報活動をするわけです。
星野源のパフォーマンスってこの矛盾を見事に解決していて、「星野源が歌うことで、複雑な歌詞やメロディが普遍化して皆に刺さる」ということが起きるんですよね。
これって、歌がうまいだけでも良い詩や曲が書けるだけでもできることじゃないんですよね。人に伝えるためのバランス感覚が天才的に備わっているというか。星野源は、良いものをつくって、ちゃんと皆に届けられる。ちゃんと届く形を見越して、曲をつくっている。途方もないことだと思うんですよ。
日本中の自称新垣結衣似の女性が抱かれたい男、星野源。僕も抱きたい。あの日テレビCMで「夢の外へ」を聴いたときから、僕だってずっと抱かれたい。